ちょっと堅苦しいかもしれない投稿です。 まだ文章も考えもまとまっていないので今後修正していきます。内容についての評価は保留にしていただければ幸いです。

人間の行為はその目的によって意味が変わってしまいます。あまり気持ちの良い例えではありませんが、「車を運転する」という行為も故意に人を轢けば「殺人」ですが故意でなければ「事故」です。人を殺める目的なら殺人で移動が目的なら事故です。

私自身はたとえそれが小規模であろうとも、モノづくりというのは工業だと思っています。直接的に人が使用する価値を産むのが工業です。モノづくりの目的は使用価値を産むことと言い換えることができると思います。そして使用価値を産む人を職人と呼び、職人が産んだものは工業製品です。 これに対して、時間がかかろうが材料費がかさもうが美しいものを作って人を惹きつけるものを作るというのが芸術家。出来上がったものは作品です。

有り難いことに、自分の製作したギターに対して時々アートだと評してくれる方がいます。主に外国の方なんですが、製品の出来栄えが良いに越したことはないので、なるべく良い出来栄えになるように努力をしていますが、それは本質的なことではないのです。一義的にギターの使用価値は弾きやすくて良い音色が出ることですから、結果的に機能美が備わるというのなら良いと思いますが、美観を良くすることを目的にして製作するわけではありません。 弾きやすくて良い音が出るギターでも容易に手に入れられないような高価なものになってしまうと、弾きやすさや音の良さの受益者が限られてしまうので、なるべく部材費を控え製作の時間を短縮して求めやすい製品にしたいと考えます。

私のモノづくりに対する態度は

  • 一義的な使用価値を高めること(ギターなら弾きやすく音が良い)
  • 使用者に適合したものにすること(ギターなら重量・寸法・ネックの形状を考慮する)
  • 高価になり過ぎないこと(高価な材料の多用や華美な装飾を控え手速く完成させる)
  • 維持に関する様々な使用者の負担を抑えて長期使用を可能にすること(修理や調整に耐えられる作り方にする・丈夫に作る・調達難が予想される材料の使用を控える)

を大事にします。こういうことを常に念頭に置いて修練を積み重ね製品を改善しようとする心持ちが職人魂みたいなものだと思っています。 これらの条件を満たした上で、使用者が見栄えの良いものや高級感を望むのであれば見た目の派手な銘木を使うとか、手間のかかる仕上げや装飾をするといったことをします。

音楽が大衆化して多くの人が生活に取り込み、より豊かな体験を得られるようになりました。昔は貴族の暇つぶしだったものが、今では大衆が楽しめるようになっています。貴族というパトロンがいなくても楽しめる。またYouTubeなどで個人が多くの人に音楽を届けられるようになって興行主がいなくても演れる。嬉しいことだと思います。